※nmmnです注意!
※oneさんが大店のドラ息子、kkzwさんが下足番の男、時代は大正くらいをイメージしています。
※何にも致しておりません!!!(重要)
※最終的にギャグ
創業は江戸時代後期、寛政の頃で、その歴史は百年を超える老舗の袋物商金輪屋は日本橋に店を構えている。明治、大正と時代を経て西洋文化の流入は目覚ましく、金輪屋も時流に遅れることなく扱う品は多岐に渡り、ハンドバッグなどの袋物は勿論のこと、帯留めや貴金属、宝石にいたるまで、当代の主人・松助の目利きは確かなものとして店の信頼を獲得していた。
「こんにちは。今度お芝居を観に行くの、本朝廿四孝!つけていくのにいい帯留めあるかしら?」
「毎度御贔屓ありがとうございます、井筒屋のお嬢さん。それでしたら……、目貫で羽根をかたどったこちらの帯留めはいかがでしょう?」
「『翼がほしい、羽根がほしい、飛んで行きたい、知らせたい』……さすがご主人、素敵なセンスでいらっしゃるのね。とても綺麗で気に入ったわ!くださいな」
「それではご用意いたします、少々お待ちください」
こういった塩梅で、主人は数多くの品々から顧客の需要をとらえ、如才なく好適のものを見出す。その審美眼がまさしく店の繁盛を支えていた。
帯留めを包ませている間、お嬢さんがきょろきょろと店内を見回しているのに気が付く。
「他にも何かお求めのものが?」
「いえ、違うの……最近、若旦那さんをお見掛けしないと思って」
主人は目下の悩みの種に言及され、思わず苦々しい表情をしそうになる。
この利発でおませなお嬢さんが、『若旦那さん』と言いながらほのかに頬を染めるものだから、尚更だ。
しかしそこは商人、努めて平静を装い申し訳なさそうに答える。
「ああ、あれはすこし臥せっておりまして……」
「まあ、大丈夫ですの?」
「静養していれば問題ないとお医者様もおっしゃっておりました、ご心配には及びません。……さ、帯留めのご用意ができました。」
主人はこの話題はもうおしまい、という合図のように、うやうやしく品物をお嬢さんに手渡す。
「そうですの……お大事になさってくださいね。ありがとう」
「毎度ありがとうございます」
見送ったお嬢さんの背中が小さくなってようやく、主人はひとつ溜め息をついた。
夕刻、客足もまばらになった頃、主人は番頭に店先を預けると、ひとり母屋の片隅にある小さな床板を外した。床板の下には地下へと続く階段が現れる。階段を降りていくと、乳白ガラスに包まれた照明が灯された部屋で、色の白い若者が気怠げに寝そべっていた。
主人の『目下の悩みの種』である『若旦那さん』、すなわちせがれの松也である。
「昼と言わず夜と言わず電気を付けているのか?」
「……地下なんだから昼も夜もないでしょう?」
「寝ているときも電気を付けているのかと言っているんだ。
電気だってタダじゃない、外して行燈にしてやってもいいんだぞ」
「いまどき行燈なんて風流な……いよいよ座敷牢らしくていいかもしれませんね、父さん」
悪びれもせず松也はちいさく笑って言った。主人は怒りを通り越して肩を落とした。
そもそも松也が座敷牢(と言っても衣食住には困らず、ただ鍵が外から掛けられている地下室である)に入れられる羽目になったのは、待合茶屋での遊びが度を越したからであった。色々と遊びを見知っていた方が今後の助けになるだろうと、主人が連れ立って行ったのが運の尽きで、この鷹揚でいてどこかいたずらっぽい松也がもてるのは、よくよく考えれば至極当然のことだった。普段目利きで通っている主人も、ひとたび男親という立場に置かれてしまうと、血の繋がったせがれの魅力などというものはついぞ気に留めていなかった。
「傍目八目とはよく言ったものだな……」
座敷牢への軟禁もさほど堪えていない様子の松也を前に主人がひとりごちていると、頭上から女中頭の声が降ってくる。
「旦那様、新橋の偃月楼からお見えになっている方が……」
「芸妓さんなら店に押し掛けるのはご遠慮いただくようにと」
「いえ、旦那様、男性の方です。なんでも偃月楼の下足番の方で、若旦那様に御言付があるそうです」
新橋の偃月楼といえばあの界隈でも一際洗練されたしつらえともてなしが評判で、主人が松也を最初に連れて行った待合茶屋であり、初会から先はすっかり松也の行きつけの店だ。方々の店から馴染みの芸妓さんが押し掛けてくることはこれまでにも何度かあったため、丁重にお帰りいただくよう金輪屋の者たちにはお達しが出ていたが、どうやら今日は違う手合いらしい。
「いいでしょう父さん」
拍子抜けした主人は、松也の言葉にいいでもわるいでもなく、諦観の表情で
「お通ししなさい」
とだけ告げて階段をのぼっていった。
主人と入れ替わりに地下へと降りてきたのは見覚えのない若い男だった。髪は七三分けに丁寧に撫で付けられ、くっきりとした二重の瞼の下にあるいやに世間擦れしていないような双眸は穏やかで、視線を向けられた松也はその印象的な瞳にすこしバツが悪い心地がしながらも、否応無く興味をそそられる。松也よりも小柄な体躯だが手足は長く、洋装がよく似合っている。
『こんな男、いただろうか』
思い返してみても偃月楼の店先で履物を管理している人物といえば中年より上の男性ばかりが浮かんでくる。
訝しむ松也の様子に気付いたのだろう、男は殊更柔和な笑顔を浮かべ、格子越しに松也の前へ正座した。
「偃月楼から参りました、下足番の柿澤です」
「見ない顔だね」
「私はまだまだ下働きのようなもので……お客様の前では頭を下げているのが常ですから」
「なるほど」
「今日は初音姐さんから預かってきたものがございまして」
「そういうことか」
柿澤の携えてきたものは馴染みの芸妓からの文箱だった。
開けてみると、身も世もあらぬ口説きの文と、切り落としたと思しき髪が一房。
「古風だな」
「陣中見舞いに」
松也が手元の文から柿澤へと目をやると、柿澤は少々焦った様子で口元を指で触るような仕草をした。その仕草に誘導されるように松也は柿澤の唇を見る。薄く、赤い唇。
「申し訳ございません、差し出がましいことを……」
「いや、気にしなくていい」
松也は文箱をかたわらへ置きながらそっと柿澤の唇から目を逸らした。
「いい気晴らしになったよ、ありがとう」
「いえ、とんだ御無礼を……それでは、失礼します」
「ああ」
気にしなくていい、と言ったにも関わらず柿澤は御遣いをしくじったこどものように神妙に階段をのぼっていく。見兼ねた松也は声を掛ける。
「いつとは約束できないが、またお邪魔させてもらうよ」
柿澤は振り向いてやっと破顔した。
「はい、お待ち申し上げております」
その後、松也は主人に件の文箱を見せながら
『他所様がかほど稼業に身を入れているのを見て改心しました』
などと言ったものだから、いよいよ主人も呆れ果て、軟禁生活は終わりを告げた。
松也の始末が悪いところは、ただのドラ息子ではなく、目利きは確かなところだ。軟禁生活を解かれてからの松也の働きぶりは殊勝なもので、井筒屋のお嬢さんはじめ常連さん達から随分御機嫌をとっていた。
そうしてほとぼりが冷めた頃、松也は偃月楼に出向いていった。主人も咎めるに咎めきれず、その背中を黙って見送った。
日本橋から新橋まで、俥をまわしてもらう。歩こうと思えば歩ける距離だ、車夫の健脚にかかればあっという間に偃月楼の前まで到着する。
「いらっしゃいませ、お早いお着きで」
しばらくぶりに店を訪れた松也を女将も出迎える。
「いらっしゃいませ、若旦那。早速初音を呼びましょうか」
「いや、今日は違う用向きがあって。下足番の柿澤君は?」
「ええ?柿澤ならこちらに控えておりますが……」
御仕着せの法被を着た柿澤が背中を押されて目の前に現れる。
「待っていてくれたか?」
「は、はい……?」
「よし。じゃあ女将、お借りするよ」
「え、ええ。では萩の間へどうぞ」
「女将さん!下足番がお座敷へあがるなんて」
抵抗むなしく、松也に腕を取られた柿澤はぐいぐいと萩の間へと連れてこられてしまう。戸惑う柿澤を後目に仲居達は粛々と御膳を用意する。
すっかり準備が整うと、女将は
「芸者さんはお呼びしましょうか?」
と尋ねる。柿澤からすれば白々しいとしか言いようがない。
「今日は二人でしんみり飲みたいんだ」
「かしこまりました」
波がひくように仲居達も女将も下がっていき、
「ごゆっくりどうぞ」
という女将の後ろで『おしげりなんし』とこそこそ笑う仲居達の声を柿澤は聞き逃さなかった。女は怖い。とりわけ女将の落ち着き払った様子ときたら、一体なんだ。呆然と立ち尽くす柿澤に、この奇妙な出来事の発端である松也が悠然と声を掛ける。
「ひとまずここへおいで」
松也の隣を指し示されて、柿澤は観念したように静かに座った。
乾杯してしまってからは、思いのほか話が弾んだ。二人とも酒は好きな性質だ。松也は大店の若旦那だが、それを鼻にかける向きもなく、幼少の頃の粗相、女中頭の地獄耳、お茶屋での出来事など面白い話に事欠かなかった。
「それでね若旦那、年長の菊蔵さんなんかだと、お客様の履物のすり減り方の違いまで、お気付きになってお声掛けすることもあるんだそうですよ」
「……」
「……若旦那?ああ、すみません、私の仕事の話なんて」
松也の相槌がなくなると途端に不安になって、柿澤は唇に手をやる。
松也はしなやかな手付きでポールモールの煙草を口元から離し、ゆっくりと紫煙を吐き出しながら言う。
「いや、それだよ、わざとか?」
「それ?」
「うちに訪ねてきたときも、そうやって唇を触っていただろう」
「そう……でしたか?おそらく癖みたいなものだと思います、気を付けます」
「なんだ、てっきり誘っているのかと思ったのに」
「!?」
口に含んでいた酒を噴き出しそうになり、柿澤は慌てて飲み下す。
「その唇は男を知っているのか?」
「若旦那、御冗談がきついですよ」
「松也でいい。君は?」
「お座敷でご本名をお呼びするなんてできませんよ。私は柿澤です」
「わかってるだろう、下の名前さ」
「……勇人です」
「そうか、勇人……もう一度聞くが、その唇は男を知っているのか?」
言いながら松也はずいっと柿澤の腰を引き寄せるので、ほとんど悲鳴をあげるように答えようとする。
「ちょっと!わかだんな……」
体勢を崩しているところへもう片方の松也の手が伸びてきて、頬から顎を手で包み込まれて口付けされた。すくなからず酒を飲んでいるところへ唇が覆いかぶさってきて、呼吸が苦しい。先程まで松也が吸っていた外国煙草が、頭の芯まで鋭く香った気がした。
「若、旦那……くるし……!」
「松也、だろう?」
息が上がって食いしばりきれなくなった歯列を松也の舌が割って、柿澤の舌を絡めとる。
「………!んー!!!……まつや!」
腰と顔とに回されていた松也の手は、名残惜しそうに、しかし予想外にすんなりと柿澤を解放した。酒のにおいも煙草のにおいも、最早よくわからないくらい頭がくらくらしていた。
「それで?質問の答えは?」
「……いま知りました」
柿澤は恨みがましい目で松也を見ながら精一杯の低い声で答えたが、松也の方はさっぱり効いていない風で、にこにこしている。
「嘘にしても本当にしても上出来の返事だな」
「本当ですよ!俺が旦那取ってるように見えるんですか!」
「どうだろう。ただ俺が旦那になってやってもいいよ」
まずい。咄嗟の言葉でつい普段の一人称を使ってしまった。とにかく妙に気に入られてしまったらしいことだけ柿澤は理解した。
「今日は玉代をはずまないとな」
「とんでもない!下足番が玉代をいただくなんて笑いものです!」
「そうかりかりするなよ。
じゃあライターなんかどうだ?吸うんだろう、煙草」
「あー……」
じゃない。柿澤はちょっといいなと思ってしまった自分に内心突っ込む。そうでなくとも次の間に床の準備までしてある部屋で二人きりだ。
「いえいえ、私はあくまで下足番ですから。
お心付け以外はいただきません。さあ、若旦那」
「松也って呼ばないなら次の間に連れて行く」
かくして絶対に潰れられないサシ飲みは明け方まで続いた。